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  • https://www.1854.photography//

    The collages of Kensuke Koike have been one of the purest forms of visual pleasure over the last two years. Videos of his working process on his Instagram account show him making miraculous reinventions of images with a single rip (his smoking woman), with a pasta machine (his dog), and with three-dimensional transformations (his sinking boat). It’s work that attracts because it seems so simple.

    Take an old portrait of a loving couple, cut their eyes out, switch them around and the relationship takes a new direction. Cut a circle around the middle of a face, offset it a couple of inches, and you’re left with a pathway to that person’s interior. These are pictures that seem simple, but link up to ideas of image compression, ways of seeing, facial recognition and visual agnosias. It’s The Man who Mistook his Wife for a Hat in photographic form.

    Koike’s work has attracted a loyal following, inspired countless copycat activities at photography workshops around the world, and invited collaborations from parties ranging from Gucci to Thomas Sauvin of Beijing Silvermine. It’s the Sauvin collaboration that resulted in Koike’s latest work, a book launched in November. Titled No More No Less, the publication came about after Koike was invited to work with Sauvin’s archive of old images that he recovered from Beijing silver-recycling centres.

    “Thomas said, ‘Come to my studio and choose some material and see what you want to do’,” says Koike in a Skype interview from his studio near Venice. Koike selected an old album made by an unknown Shanghai University photography student in the 1980s, simple black-and-white studio headshots that have an evenness of style, tone and lighting throughout.

    It contained the silver prints that Koike worked from – applying a simple rule that “nothing is removed, nothing is added” – alongside original negatives, manuscript comments from an anonymous professor, and shows the work of a student who was clearly diligent in making conventional portraits. And so Koike began his process, which starts in Photoshop and ends with endless prototypes trying to get it right.

    “People think I make these in one attempt, but it’s not true. I always apply the final decision on the original, but even though I try to make it as simple as possible, it takes 20 times to get it right,” he says, adding: “We made an exhibition in Guangzhou, China. We showed this and, at that moment, we received many offers from publishers.”

    Instead of going for a straightforward single edition, however, Sauvin – acting as Koike’s collaborator and manager of the project – decided to choose a more complex option; to have three different editions of the same book, to be launched during Paris Photo, on the same day. “I asked the three publishers [Skinnerboox, the(M) Éditions and Jiazazhi] if they would be willing to be part of this adventure, and I received three positive answers that same day,” says Sauvin.

    “Three felt like the right number. Two would have been a bold competition. Four would have been redundant. Three felt right. Plus I wanted one in Italy, where Koike lives; one in France, where I live; and one in China, where the original album comes from.” He set three rules: “Make a publication in an edition of 400; have it ready for 01 November; don’t exchange with us in any way.”

    Koike was tasked with making collages for all the different editions. “I was super-stressed,” he says. “To make exactly the same work four or five times is crazy – I needed to make 100 collages – and one collage takes one day to make. So that’s four months of cutting. To cut and cut is very stressful.”

    Then the materials were sent off, with Sauvin and Koike – who by his own admission likes to have control – waiting with concern. “We don’t know the size, the paper, if they used all the images or only some of the images,” said Koike, speaking ahead of the Paris event. “Probably they make some mistake on my name, or Thomas’s name, but that could be funny. We’ll see. We don’t know.”

    As it was, the three books were launched at Polycopies (the book fair which runs concurrent with Paris Photo, on the opposite bank of the Seine) and both Sauvin and Koike were delighted. All three books are different – dedicated to the aesthetic of the original images, but with visual flourishes referring to the original negatives, their archival form, the cutting and the process. Their triple personality busts the myth of the ‘ideal’ book, as they work as a triptych that in total adds up to a record of how archives are configured, reconfigured and reborn.

    With the publishing completed, it’s unlikely that Koike will get any rest. More sifting through experimental cutting and pasting awaits. “I go out from my studio perhaps once a week,” says Koike. “I never leave, I have everything here. My hobby is my job, and my job is my hobby.”

    kensukekoike.com beijingsilvermine.com This article was originally published in the January issue of BJP www.thebjpshop.com

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    ―小池さんはイタリアでビジュアルアートを学ばれていますね。イタリアにわたるきっかけは何だったのでしょうか?

    高校時代に一年間、交換留学でイタリアの美術高校に通ったんです。そのとき、留学する国が選べたんですが、どの都市に行くかは自分では決められなかったんですよ。ドイツでもベルリンじゃなかったらイヤだし、フランスでもパリじゃなかったら一体どこに……とか考え出したら不安で。でもイタリアだったら、16歳の幼い知識でもフィレンツェ、ミラノ、ローマ、ナポリ、ヴェネツィアとか芸術に関わりの深い都市の名前がいくつか浮かんだんですよね。それで消極的にというか、合理的にというか、そんなふうにイタリアを選んだんです。

    ―高校生のときから何かを作りたいという意欲は強かったんでしょうか?

    そうですね。日本では普通科の高校に通っていましたが、当時からアートを勉強したいと思いはありました。それで交換留学の機会を得て、念願の環境に身を置いたという感じでした。図学や美術史といった理論も勉強しましたし、画材や粘土を使った演習もあってそれなりに充実した留学でした。でもやはり一年では物足りなくて、交換留学を終えてから再度イタリアの美術アカデミーに入学しました。なので、通算9年くらいイタリアの美術教育を受けましたね。

    ―写真を扱うようになったのはいつ頃からですか?

    ヴィンテージフォトを使って制作し始めたのは2012年からです。それ以前は自分で撮った写真をコラージュしたりしていましたね。そこに至るまでも色々とメディウムを変えてきました。アカデミーに入学した当初は油絵をやっていたんです。制作スペースが学校内に無かったので家で制作していました。でもある時、ルームメイトに「油臭いから止めてくれないか」といわれて(笑)。迷惑かけるのも申し訳ないなと思ったので、次の日からヴィデオアーティストになりました。

    ―ずいぶん潔いですね(笑)

    「ごめんなさい!」っていう気持ちに抗えず……。ヴィデオはどこでも制作できますから、そういう気楽さもよかったんですよね。

    ―学外で発表し始めたのはその頃からですか?

    そうですね。たまたま僕の作品を目に止めてくれたキュレーターがいて、彼がパドヴァのギャラリストを紹介してくれたんです。そのギャラリーはかなり精力的に所属作家を売り出してくれるところで、僕も一年目から4つくらいの海外のアートフェアで発表させてもらいました。学生の僕にとっては世界が一気に開けた経験でしたね。

    ―ではヴィデオアーティストとしてデビューした後、写真を使い始めたんですね。

    きっかけは展覧会の案内状づくりでした。ヴィデオのキャプチャーをレイアウトするんじゃ面白くないから、何か作ってみたらとギャラリーから提案されたんです。それで自分でカメラを買って写真を撮って、案内状に載せるためのコラージュを作りました。そこでギャラリストにいわれたことが印象的で、いまでも憶えています。彼は「お前はアーティストなんだからカメラなんて持つ必要はないんだ。お前はコンダクター(指揮者)であって、手を動かすのは別の人間に任せればいいんだよ」といいました。でも僕はやはり自分で手を動かして作るほうが性に合ってたんですよね。

    ―撮影からコラージュまで一貫して自分の手でされていた時期を経て、2012年からはヴィンテージフォトへと関心が移ったと。

    自分で撮らなくても、もう写真はそこらじゅうに溢れているじゃないかと思ったんですよね。それで次は、捨て置かれた古い写真のコラージュをやり始めたんです。いわゆる「ファウンドフォト」という文脈に属する仕事を続けて現在に至ります。

    ―「手仕事であること」は作品の評価にどう影響していると思いますか?

    評価ということでいえば、やはり重視されるのは見た目のインパクトやコンセプトの意外性や面白さですね。ですから、手仕事だから特別注目されるということはありません。とはいえいろいろな人がいますから、作品制作の物理的なプロセスを知りたいという人も中にはいます。それは手仕事であることがある程度評価されているということなんでしょうけど。でも、そんなことは割とどっちでもよくて。僕は自分がいいと思ったものを作り、信じた方向に行くだけであって、もし評価して支えてくれる人がいればそれは幸いなことだと思うようにしています。

    ―今回の個展では古いポストカードが使われていますね。どういうところに面白みを感じますか?

    人に捨てられて一顧だにされないものに、もう一度「価値」が生まれるところでしょうか。僕が使うポストカードは、すべて蚤の市のようなところで偶然手に入れたものです。オークションで頑張って落としたりとかはしません。ストックはざっと5万枚くらいになるでしょうか。面白いのは、同じ古いポストカードでも町並みが写っているものは引き取り手が絶えないんですよね。昔の街の様子を知りたいとか、そういう需要があるみたいです。逆に人物が写ってるものは捨て置かれてしまう傾向にあるようです。自分と無関係な人物が写っているポストカードを、わざわざ手元に置いておく意味はないですからね。でも、そういう価値がなくなってしまったものに僕が手を加えることで、新しい別の「価値」が付加されるのは面白いなと思っていて。僕はこのプロセスを「錬金術」と呼んでいます。

    ―では、ポストカードに限らず、レディメイドのものなら何でも制作の素材になりうると?

    そうですね。もしかしたら、明日からレディメイドを使った彫刻家になってるかもしれません(笑)。自分がどのジャンルに属するかは問題ではないんですよ。僕にとって重要なことは「錬金術」的な価値創造それ自体です。価値というものは、完全なゼロから生み出すことは難しい。でも、すでに存在している物の価値を変化させることはできます。ほぼ無価値な素材が、自分の行為によって一体どれだけ価値あるものになるのか。ポストカードはまだその振れ幅が未知数なので、いまも興味が尽きません。何に「化ける」のか、試している途中なんです。

    ―小池さんの作品は「コラージュ」と形容されがちですが、厳密にはそうではないですよね。複数の対象を合成するのがコラージュだとすれば、小池さんの切り貼り作業はポストカード一枚で完結しています。

    そうですね。むしろコラージュをしないようにしています。二枚の絵を切り貼りして一枚のイメージを作るのは簡単です。それゆえにアイデアも安直になってしまいます。かといって、ポストカード一枚から任意のイメージを作り出すのは制約がきつすぎると思われるかもしれません。たしかに、ポストカードを「絵」とか「図」の集合体と見ると、それは新しいイメージを作る際の制約に思えます。だから僕は、ポストカードを「点の集合体」として理解することにしているんです。その「点」を組み替えれば、どんなイメージでも構築可能だという仮説を前提に制作しています。

    ―なるほど、デジタルな思考ですね。たしかに分解する単位を細かくすれば、イメージの可塑性は向上しますよね。出品中の作品の中では、「ジョージ・ワシントンの肖像」が象徴的に思えます。

    いわゆるコラージュに分類されることには違和感があって。だから僕は自分の制作を勝手に「Switched Photo」と呼んでいます。ふたつ以上の物の合成や混交ではなく、ひとつの物の中で部位の交換を行なっているという感じですね。

    ―素材にするポストカードはどういう基準で選んでいるんですか?

    強いていうなら、僕が手を加える前と後で大きく質が変化するものですかね。僕は人物の顔をモチーフにすることが多いんですが、その理由は、少しの操作で大きな違和感を引き起こせるからなんですよ。それは人間の生理に関わることだと思うんですが。風景写真を切り貼りしても、あまり違和感を覚えることはありません。「元の景色」とか「正常な状態」を知らない限り、僕たちは操作された風景のほとんどを「そういうもの」として認識するでしょう。人の顔は、目や鼻の位置がおよそ一定で、それゆえにそこに変化があれば誰もが気づきます。

    ―違和感の大きさゆえに、場合によってはその変化に面白さとか、嫌悪感とか、何らかの感情も引き起こされますよね。

    どう見るかはその人の自由だと思っていますが、敢えていうと、僕はそこで感情ではなく好奇心を働かせてほしいと思うんですよね。人の顔を切ったり貼ったりしているのが不遜で不快だとか、ユーモラスで笑えるとかよりも、なぜ自分はこのイメージにこんなに違和感を覚えるのか考えることの方が有意義だと思うんですよね。あるいは、この切り貼りはどうやってやったのかとか、制作の過程を想像してみる。すると理解できないことや、わからないことがノイズみたいに思考に入り込んでくることがあるはずです。作品は見る人に投げかけられた「問い」であって、その「答え」を探す体験を生み出す装置なんだと思います。僕にとっての制作は、ある意味では「問題づくり」だということができるかもしれません。自分の作品が、他者の思考のきっかけになるといいなと思っている節がありますね。

    ―アーティストに社会的な役割があるとすれば、そのひとつは「問いを作り出す」ということだと思います。小池さんはその意味で、正しく「アーティスト」なのだと思います。

    そうともいえるかもしれません。でも、現実の社会で起きている出来事にはあまり関心がないんですよね。ポリティカルな問題、あるいは人種や性別、宗教に関わる問題からは離れるようにしています。

    ―それはなぜでしょうか?

    人の営みを眺める上での、スタンスの違いなんじゃないでしょうか。社会的な問題にコミットメントしたり、そういうテーマを積極的に作品していくアーティストはたくさんいます。そういう目線は、人の営みをグローバルな規模で、包括的に理解することを可能にします。しかし一方で、そういう鳥瞰的な視野は物事の個別具体性を見落としがちです。

    僕はどうやら、その個別具体性を重んじるタイプのようで。だから鳥瞰的なものの見方をしないんですよね。「木を見て森を見ず」という諺がありますが、僕の場合は「森を見ないで木をずっと見ている」という感じで(笑)。細かい部分の、その機微に敏感でありたいんです。

    社会を洞察することで人間の可能性がわかるという意見に異論はありません。でも社会は個人の集まりですから、個人を深く深く見つめていく先にも人間の可能性が見えてくるはずです。人種や宗教のいざこざは、誤解を恐れずに言えば「小競り合い」にしか見えなくて。それらは人類を考える上でマストな問題ではないというのが、僕のスタンスです。

    ―ポリティカルな主題に取り組んでいるアーティストほど「社会性」があり、手業にこだわるアーティストほど「非社会的/対話的ではない」と評価される風潮は少なからずあると思います。

    一面的に見ればそうかもしれません。でも、僕みたいな後者のタイプが必ずしも「非対話的」というわけではないと思います。僕の場合は素材であり、自分であり、あるいはポストカードにメッセージを書き込んだ「誰か」であったり、制作するときには対話すべき相手が必ずいます。そういう態度は世の中的には「自閉的」なんでしょうけど、「自」をよくよく知ることで「他」のことがわかることもあるはずです。少なくとも僕はそうすることで初めて、自分以外の誰かのことを理解できると信じています。

    ―徹底して個別具体的なもの見つめていくことも、普遍性に通じていくというわけですね。

    僕自身が普遍的なものを作り出せるとは思っていません。ある心理学の実験では、90%の人が夜空を「美しい」と答える一方で、10%の人は「怖い」と回答したそうです。おそらくどんな物事であっても、100%の人間が同じように認識しているものなんて無いんじゃないでしょうか。

    ―小池さんの作品はよく「ユーモラス」だと形容されますが、そうでない見方をする人もいますか?

    逆に「毒がある」といわれることもありますよ(笑)。それはそれでしっくり来るんですけどね。でも、僕自身は作品に愛情を込めているつもりだし、見る人にネガティブな感情を抱かせようとは思っていません。とはいえ、自分が意図していなかった色々な認識や感情が、他人の中で喚起されているのはおもしろいなと思います。

    ―ちなみに、制作における「愛情表現」って、例えばどんなことですか?

    人の手をわたってきたポストカードなので、裏書きとかに他者の痕跡があるんですよ。今回の個展でステイトメント代わりになっている「手紙の冒頭文」は、展示作品の素材になったポストカードに書かれていたものです。

    ―なるほど、ポストカードの個別性を捨象しない、ある種の「配慮」ですね。

    ポストカードは大量生産品ですが、生産が終了したり、人の手が加わった時点でそれらは「一点もの」です。切る作業に「二度目」は無いんです。だからカッターを入れる前には何枚もコピーをとって練習しますし、心身が整わず集中できない時はそこで作業を止めます。大胆な工作に見えるかもしれませんが、実は0.1ミリ単位の正確さが必要な細かい作業をしています。ミスを絶対にしてはいけないという制約を自分に課しているわけですが、それもある意味では唯一無二のポストカードに対する配慮であり、僕なりの愛情表現だと思っています。

    ―話は少し戻りますが。見る人に「毒がある」といわせるということは、小池さんの作品がその人の「倫理に抵触している」ということだと思います。他人のイデオロギーや信仰の問題には立ち入りたくないと先ほどお話されていましたが、図らずも作品は誰かの「イメージに対する信念」にコミットメントしているようですね。

    例えば「赤ん坊の顔を切り刻むなんて…」とか、不快感を表明されることはあります。その人にとっては、ポストカードの赤ん坊を切ることと、生身の赤ん坊の顔を切ることは分かち難く結びついているんでしょう。もちろん、そこに良心の呵責を感じることは素晴らしいことだと思います。でも一方で思うんですよ。「俺が切ってるのは紙だよ?」って。これについては自問することもあります。自分が今切っているのは紙なのか、人なのか。さらにもう一段階問題を抽象化するならば、「自分はなぜこの紙に思い入れを持つんだろうか」といつも考えています。

    ただの紙が、どうして自分にとって重要になるのか。先ほど僕は、自分の制作を「錬金術」だといいました。それは価値の無いものに、価値を与える行為だと。でも価値にも色々ありますよね。アートマーケットにおける「市場価値」という意味もありますが、ある人が僕の作品に対して抱く「思い入れ」も価値のひとつだと思います。思い入れは「所有欲」とも言い換えられるかもしれません。

    ―ポストカード「だけど」赤ん坊とか、ただの紙「なのに」欲しいとか。小池さんが問題にしているのは、イメージが可能にするこの「跳躍」なんですね。あるいは「幻視」の作用ともいえるのかもしれませんが。

    そうかもしれませんね。僕の錬金術はつまるところ、一枚の紙という、取るに足らない物によって「人の感情をいかに湧かせることができるか」という問いに対する実践なんだと思います。というと、なんだか小難しいですけどね。要するに「人を気持ちよく騙したい、気持ちよく騙されてほしい」っていうことなんですよ。騙されたときに明らかになるのは、自分自身の思考ですから。そうやって自分に対して新しい気づきを得ていくことには意味があると思うんです。

  • https://www.lensculture.com/

    Rummaging through stacks of old photographs at flea markets, photographer Kensuke Koike is endlessly inspired by neglected objects from the past. Finding novel ways to bring new life to discarded relics, he affectionately alters vintage photographs, injecting them with new meaning. After he finds a photo he likes, Koike carefully cuts into the image, rearranging the pieces and turning the photograph into an abstracted, interactive optical illusion that invites his viewers to do a double-take. These reformulated objects make up his series Single Image Processing, a project Koike describes in simple terms: “Vintage prints, nothing added, nothing removed.”

    While the alterations at first seem simple, the steadiness and meticulous accuracy involved in Koike’s work cannot be glossed over. Using a blade to carry out precision cutting, it’s easy to imagine the photographer bending over a table in his studio, splicing his one-of-a-kind market finds with mathematical accuracy into a number of perfectly-puzzled final products. After he collects the original objects, Koike sits with them until his desired outcome becomes clear. He then has one shot to carry out his vision for the piece.

    Drawn to this novel and material approach to reviving historical photographs, editor Cat Lachowskyj spoke to the artist about how his ongoing project first began, the ethics surrounding the alteration of archival photographs, and his collaboration with seasoned vernacular archivist Thomas Sauvin.

    —LensCulture

    LensCulture: How did you begin working with archival photographs in particular?

    Kensuke Koike: Before I used archival images, I was shooting photographs on my own and altering them. But because I had the negatives and originals, I could make mistakes in the cutting and altering of them—I could just print another copy of an image and start all over again.

    All my materials come from flea markets. I don’t necessarily look for a specific scenario in the photos because I make them special by transforming them myself. Normally, people who come to flea markets don’t buy portraits because they are not attracted to posed images of strangers. I often find the photos in very bad condition, having been neglected and ready to throw away.

    I began to use archival images because I wanted to try something more challenging and delve deeper into the meaning of an image. More risk means that I have to think twice before cutting the originals, and that is important.

    LC: Your work involves a fair amount of planning to create your patterns and reconstructions. How did you first become interested in these alterations, and how do you develop new methods for modifying your pieces?

    KK: Altering a unique image requires more preparation, and the images I work with are chosen randomly from my mixed archive box. It’s always a challenge and surprise for me to discover the potential hidden in each image.

    When I first started this project, I would put different images together to create a new one, which led to some interesting effects. But then I started thinking: what would happen if the alterations were all re-composed without increasing the contents of the original photograph? The result is a totally new image, composed completely from the original piece.

    LC: A lot of people have a knee-jerk reaction to the thought of cutting up what are now considered to be historical photographic materials. What are your thoughts on the ethics of altering the state of unique objects? Why do you think it’s an important way of working with photographs?

    KK: I began this work by using neglected images. It’s easy to think about how the people in the photos aren’t alive anymore, and how the photograph I have in my hand might be the last existing portrait of that person. But altering images and redefining them causes the viewer to be more curious about the person in the photo; I believe my alterations give the subject a new life. Also, most of my works can be returned to their original state because I don’t actually eliminate or discard any pieces. However, I also use non-vintage photographs, such as postcards, which can eliminate the pressure of irreparably damaging a photo with a new experiment.

    LC: Thomas Sauvin is another artist working with found photography, most famous for his expansive collection of negatives, prints and projects that make up his archive called Beijing Silvermine. You recently collaborated with Sauvin on the project No More, No Less, and I was wondering what you learned from each other’s practice, and how this has helped inform your approaches to your respective future projects.

    KK: This project with Thomas was my first collaboration ever. He’s an excellent explorer and found and approached me. I usually love to work alone, closed up in my studio, meditating on the photographs for a long time. But it’s not always good to work alone—you often lose control of your sense of time.

    Thomas’s approach is really about rescuing large amounts of images and putting a selection together to create a new narrative, without physically altering them. I tend to create a new narrative, through physical intervention on a single image. So, we combined our approaches in order to create our No More, No Less series. From original negatives in Thomas’s archive, we made new gelatin silver prints. Then, with a simple blade and adhesive tape, I deconstructed and reinvented the images, respecting one single formal rule: nothing is removed, and nothing is added—“no more, no less.” Within this context, we were able to blend our freedom and constraint, meticulously exploring the possibilities of an image made up entirely of itself.

    LC: Finally, why are you drawn to the photographic medium as a creative outlet?

    KK: Photographs are a reflection of the real world, and by altering them we can create other images, but they will always be based in realism. I like when the normal becomes abnormal; when it transforms into something special.

    —Kensuke Koike, interviewed by Cat Lachowskyj